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千葉愛石

印刷用ページを表示する 掲載日:2018年10月5日更新

 千葉愛石(立造)は、弘化元年(1846年)4月12日に千葉重之進の長男として、粕川に生まれました。
 幼少の頃から向学心が強く、家業の傍ら塾に通い勉学に励みました。20歳で結婚しますが、体が弱く、親の許しを得て医者を志し自力で上京します。
 上京した愛石は、明治天皇の侍医も勤めた岩佐純医師のもとで昼夜勉学に励み、幕末の剣豪山岡鉄舟と交際するようになりました。
 その後、岩佐病院塾長、副院長を務め、名医と呼ばれるようになります。
 愛石は、幼少の頃から体が弱く、度々病を患った自らの経験から、人生の危うきことを示すため、山岡鉄舟や勝海舟など明治期の著名人の賛を記した「累卵の碑」を糟川寺に建立しました。


※岩佐 純 
  天保6年(1835年)福井県生まれ。安政3年(1856年)より江戸で西洋医学を学び、明治2年(1869年 )より
明治政府に仕え、医学教育の充実に尽力した。明治5年(1872年)に大侍医となり、後に明治天皇の診察にあたった。

累卵の碑

〈累卵の碑〉


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