支倉常長
印刷用ページを表示する 掲載日:2018年10月5日更新
支倉常長は、元亀2年(1571年)生まれ。伊達政宗に仕え、慶長18年(1613年)に政宗の命により、遣欧使節としてヨーロッパを目指し、石巻月ノ浦より出航しました。
ヨーロッパではキリスト教の洗礼を受け、ローマ法王に謁見。数年間滞在の後、元和6年(1620年)に帰国しました。
当時国内では、徳川幕府によりキリスト教の禁教令、鎖国政策が進められており、キリスト教の洗礼を受けていた常長は、元和8年(1622年、元和7年(1621年)との説もあります)に亡くなったとされています。
しかし一説には、伊達政宗が本町東成田に常長を隠し住まわせ、その後も東成田で生活し、承応3年(1654年)に84歳で亡くなったと伝えられています。
〈支倉常長公像〉