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箭楯神社

印刷用ページを表示する 掲載日:2018年10月5日更新

 所在:大郷町大松沢地内

 大同2年(807年)征夷大将軍 坂上田村麻呂が、蝦夷討伐のため、この地に立ち寄った際に、放った鏑矢が落ちた場所を矢立明神と称し、祀ったことが起源と伝えられています。その後、野火等により荒廃しますが、天文19年(1550年)に宮沢 実家(みやざわ さねいえ)が再建したと伝えられています。

~箭楯神社の伝説~

 天文19年、大松沢を治める宮沢氏は、北に隣接する大崎氏から攻められ、苦境に陥ります。その時、どこからともなく若武者が一人、馬に乗り駆け来て、縦横無尽に敵を追い散らしました。若武者の活躍により戦に勝利できましたが、戦が終わるとその若武者は、箭楯神社に入り忽然と姿を消してしまいました。その若武者が箭楯神社の神様であると考えた宮沢実家は、荒廃した神社を再建したと伝えられています。

箭楯神社

<箭楯神社鳥居>

箭楯神社社殿

<箭楯神社社殿>


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